ワタリウム美術館にて、人々の力を感じる
ワタリウム美術館
現在、ワタリウム美術館にて開催されている展示、「JR展 世界はアートで変わっていく」を見てきた。この展示は、JRというアーティストが世界中で行っているストリートアートの様子を展示しているもの。プロジェクトのひとつにでは、INSIDE OUT PROJECT というものがって、誰でも、自分のポートレートを印刷して、ストリートに貼り付けることで参加可能なプロジェクトで、東北震災後には、東北地方にて多くの写真がとられ、貼られた。
ストリートアート
Banksy などと同じく、JRはストリートアート出身。グラフィティと呼ばれるものだけれども、まぁ、いわば落書き。落書きが落書きで終わっていれば、ただの悪ガキだったのだろうけれどもそこから、JRは展開していき、ストリートにものを貼り付けるという行為をひとつの人々の表現行為による力へと意味の展開を行うことに成功し、TEDSで公演をおこなうなど、広く知られたアーティストとなった。私自身は、確か、そのTEDSの公演を通じて始めて知ったように思うけれども、その後、ドキュメンタリーなども見た記憶がある。なので、意外といろいろな場所で少しは見聞きしている人も多いのではないかと思う。
Women Are Heroes
いくつか行われているプロジェクトの一つに、Women Are Heroes というものがあって、これが良く知られているのではと思う。貧民街などに暮らす女性に焦点を当てて、インタビューと共に、ポートレイトを撮影して、それを大きくプリントアウトして、家の壁や屋根、階段などに大きく貼り付けていくというプロジェクト。その表情に宿る何かや、普段は貧民街の光景であったところに、人の表情が現れることで、その場所を対人間として周囲の人間が捉えることが出来るようにすることも促している。
対話
上記の展示の例もそうだけれども、結局のところ、JRのプロジェクトによって、対話が起こると言うことなのだと思う。パレスチナとイスラエルの人々の写真を並べてそれぞれの地域のストリートに貼り付けるというプロジェクトについても、普段は、その所属によって分け隔てられたものとしてしか、人々が捉えていないという現実に対して、人々の表情を映し出すことで、人と人という接点であれば、そういった所属のもとにしたいがみ合いなど意味が無くなるのではと。接続
その意味では、所属があるが故に、我々は安定的である一方で、その安定を手に入れるために所属によって、排除しているものがあるということだろう。貧民街は、貧民街として捉えてしまうことで、そこにもまた人々が暮らしているという現実から目をそらしてしまう。しかし、そこに人の表情がインターフェイスと成って、ぞれぞれの異なる所属が接続されて、感情の流れが変わっていく可能性があるのではと。東北
東北の地震の事例もまさにそうなるのだろう。被災地という言葉だけではなくて、そこにいる人々の表情が映し出されることで、我々はより親近感がわき、そして、おそらくそこにいる人々も、力を感じるのではないかとも思う。世界はアートで変わっていく
この展示の副題「世界はアートで変わっていく」とある。まるで、夢のような言葉だ。だけれども、こういったタイプのアートには、その力があるようにも感じる。建築に見るような権威主義のアートというものもあるし、文壇や画壇といったアートの仕組みというのもあるが、しかし、それらは、世界からむしろ隔絶することでその地位を確保しているようにも感じられる。しかし、誰もが参加出来て、そして、誰もの表情がわかるこのJRによるプロジェクトは、確かに、世界が変わっていくような気がする。インターネットの力も加えて、世界は、やっと人民主権へと歩み出しているのかもしれない。
関連リンク:
ワタリウム美術館JR - Artist
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