原美術館にて黒い「無」



原美術館

快晴である一方で、強く吹きすさぶ風の冷たい冬の日にとっては、品川駅からの道のりが寒さに耐えがたいとさえも感じられてしまう程度の徒歩を要する距離にある閑静な住宅街の中にある原美術館
そこで、現在ポルトガルの映画監督 ペドロ・コスタ と同じくポルトガルの彫刻家 ルイ・シャフェス の二人による展示 「MU」 が開催されているので、見に行ってみた。


「無」

もともとは、この二人による展示は、本国などでも行われており、別のタイトルがついていたそうだが、ここ原美術館にて展示するに当たり、あたらにこの「MU」というタイトルがつけられたそうだ。


ペドロ・コスタ

ペドロ・コスタは、コロッサルユースなどの映画などが有名で、日本でも、細々とながら劇場上映されることの多い作家。作風は、非常に難解なところもある映画監督で、ドキュメンタリーともとれる貧民街の様子を淡々と写し続けるような静かな背景に、極小の登場人物による静かな物語の展開が描かれる作品が多い。そこには、言葉を掛けることの出来ないような重々しさと変化思想にない現実が横たわっており、その言葉少ない映画と同様に、鑑賞者側も言葉を失ってしまい、ただ、その現実をうけいれるしかないと、そう感じさせるような世界が描かれている。


映像と彫刻

そんなペドロ・コスタの映画作品から抜き出された映像と、主に鉄で作られた ルイ・シャフェス の彫刻が、多くの場合、暗くされた展示室の中にひっそりと置かれているというそんな展示がこの「MU」の展示スタイル。何も語らない映像と、何も語らない彫刻。それが一体何を指し示しているのかも容易には理解できない展示。そう、確かに、そこには「無」が広がっている。


重々しさ

そこにある「無」は、そして、二つあるのだろう。一つは、その展示されている作品が置かれた展示室にある「MU」。まるで関連性の内容にお感じられる映像と彫刻。しかし、そこには、なにか、交わらない対話のようなものがあり、「無」の感覚をより深くさせる関連性がある。そして、もう一つは、それぞれの作品の中に秘められた「MU」。ペドロ・コスタの映像の中にある「MU」。それは、あまりにも重々しくそこにあって、そして、思わず凝視することを避けてしまいそうになる。そして、彫刻にある「MU」。実体感の強い鉄が、しかし、例えば、いるべき人が存在しないことによる無の感覚であるとか、そのマテリアル感が失われた無であるとか、存在しながらも、例えば、ただ、迂回するだけの存在であるような、そんな無の感覚。


じっとりと

きっと、この展示を見ると、思わず素通りしてしまうだろう。映像作品をずっと見続けることは出来ず、そして、彫刻をまじまじと眺めることも出来ず、そこにあるかもしれない、意味合いを深く探求しようにも、手がかりさえも掴むことが出来ずに、そして、そのひっそりとした展示室に耐えることが出来なくなり、思わず退出していまうだろう。
これこそが、正に、この二人の仕掛けた「MU」なのではないかと感じてしまう。
そして、その「MU」は、しかし、感覚の中にじっくりと根を下ろしていて、ふと帰り道などに心によぎる様々なことが、この「MU」の中にあるものを改めて探し出そうとし始めてしまう。


深い「無」

そんな、非常に深い「無」の感覚を感じさせてくれる非常にすばらしい展示だと思います。


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