「梅棹忠夫の「人類の未来」」を読んだ



梅棹忠夫

2010年に亡くなった、民族学梅棹忠夫。学者でありんがらも、卓越した現実分析能力により、オピニオンリーダー的な存在でもあった人物。年代的も、日本の高度経済成長とそのバブルの崩壊の時代に脂ののった人生を歩んだこともあり、また、文化人類学者として、世界各地を歩き回った人物でもあることから、その経験を元にした慧眼としかいいようのない鋭い指摘や提言をしてきた人物でもある。


震災

そんな梅棹忠夫の思想は、特に東日本大震災以降その重要性が再認識されていると言ってもいいだろうし、私自身も、震災以降に放映されたNHKの番組でその思想に触れ一気に虜になった。


人類の未来

そんな梅棹忠夫が結局出版するに至らなかった幻の書籍が「人類の未来」。河出書房から出版された「世界の歴史」の最後を飾るはずの書籍だったが、そのためのアイデア帳のみを残し、結局完成には至らなかった作品。
そんな、梅棹忠夫が「人類の未来」の中で何を語ろうとしていたのかを、過去の対談や関係者のインタビューを元に、追い求めた書籍が、「梅棹忠夫の「人類の未来」」という書籍で、それを読んでみたのでここに少し感想をまとめてみる。


理性対英知

この中で、最も重要な章は、最終章であろう。そこまでは、梅棹忠夫が時代の中でどのような役割を果たして、どのように感じていたのかを体験出来る章であり、最終章こそが「人類の未来」に迫る章である。
そして、ここで言及され、NHKの放送でもまとめとして使われていた言葉、理性対英知がやはり、興味深い言葉として残る。
我々は、理性を手に入れることで、多くのことを知るようになり、探求するようになり、科学と呼ばれるものを手にした。
しかし、その科学は、万能ではなく、時に無力であり、時に暴力的である。しかし、それを我々は決して捨て去ることは出来ないだろうと、それは人類の業のようなものであるが故に。


英知とは

英知というのは、わかりそうでわかりにくい言葉である。ここでは、理性対英知を左脳対右脳と読み替えてもいる。理屈で突き詰めようとしたものを、そうではなく、感覚的に捉え直そうと。正しいか正しくないかは、理屈を突き詰めても結局見いだすことは出来なくて、それは唯一感覚によってのみ判断するしかないということを意味しているのだろうと、私は捉えた。
もっと言えば、脳ではなく、身体的に物事を捉えるべきだと。


暗黒か?

そして、その「人類の未来」は、暗黒なのか。その突破口を見いだすことに苦心したすえに、その書籍を完結することが出来なかったのだろうか。
しかし、人類はいつも危機にいる。だけれども、今もなお存在するし、結局のところ、存在することを熱望している。権力者による支配によって世界がなっていたころから、大戦の世紀へ、そして、今度はエネルギー問題への世紀へ。いや、まだまだいくらでも、問題は思いつく。そこに、英知といった抽象的な言葉が力を持ち得るのだろうか?


これから

正直言って、私にもまだ何も見えないし、それどころか、混沌とした現状を感じるのみ。その先にある未来を、その動向を見つめることがもっと出来ればと思う。梅棹忠夫はそれが出来た人物のように感じる。現実をしっかりと見つめれば、自ずと未来が見えてくるのかもしれない。
そのように振る舞えるように、私自身を磨き上げなければならないとも感じた書籍でした。


関連リンク:
梅棹忠夫 - Wikipedia
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梅棹忠夫の「人類の未来」  暗黒のかなたの光明
発売元 : 勉誠出版
発売日 : 2011-12-16 (単行本(ソフトカバー))
売上ランク : 31230 位 (AMAZON.co.jp)
¥ 1,890 在庫あり。
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