六本木森美術館でむしろ絶望を感じたメタボリズム



メタボリズム

メタボリック検診のせいで、メタボって言葉がそのまま脂肪の代名詞みたいになっていますが、元々メタボリックってのは新陳代謝のこと。つまり、新旧がどんどんと生まれ変わっていくということで、その概念的な部分を捉えて建築にメタボリズムという名前をあてたのが丹下健三に影響を受けた建築家黒川紀章や菊竹請訓などによって展開された建築運動。


戦後の復興

戦後の復興と高度成長のなかで、継ぎ足し可能・増殖可能な建築が構想された。黒川紀章のカプセルハウス的な継ぎ足しビルなんかは一時期話題になったし、東京湾を大々的に都市空間にするという構想も時に話題になったそれ。
そして、それらの多くは、現在の状況を破壊して、もしくは、現在は都市が存在しない洋上などを利用して、プラットホームを作り、そこに出来た都市は、どんどんと継ぎ足していくことで増殖が可能な都市となることを夢見ていた。


未来都市展

それらの基本概念が投入された建築の多くが模型や図面とともに展示されるのが現在六本木森美術館にて開催されている展示、メタボリズムの未来都市展で、2012年1月15日まで開催されている。
ということで、行ってきた。


高度成長

その夢のような壮大なコンセプトはしかし、高度成長に踊らされた発想に過ぎず、時代を超越するものでなかったとしか、私には感じられなかった。
奇しくも、幻の万博から終戦後、東京オリンピックに始まり、大阪万博で幕を閉じた日本の高度成長と時を同じくする展示。
その狂騒時代の副産物としか思えない妄想の羅列。私は、絶望しかそこには、感じなかった。もしかすると、主催者は現在の震災からの復興と戦後の復興を掛けてみたかったのかもしれないが、しかし。


まさに

今や、大阪万博の面影は太陽の塔にしか残っていない。当時構想され、実際に作られたものは、それに似たものが増殖することなく、むしろ、この大阪万博を頂点としてきれいさっぱり消え去ってしまった。
むしろ、今はまさにそのときなのだ。我々は、むしろその高度成長時代の幻想をきっぱりと捨て去ってこの現実に対峙しないといけない時である。そう、だから、この展示はむしろ最後の晩餐として開催されていると捉えるべきだろう。


なにもかも

それは、何かも失った時だったからこそ、可能だったのだろう。人は、自分の習慣を捨てることは容易には出来ない。土着の場所を突然もっと機能的な建築空間にすると言われても、多くの人は拒否反応を示すだろう。
しかし、もし何もかも失ったときだったら。それは、物理的のみではなく、精神的な価値観も含めて。憶測ではあるが、終戦後の感情は、物理的のみならず、精神的にも何もかも失った感覚だったのではないだろうか。だから、本当にゼロから始めるしかなかった。だから、全く新しいものを受け入れることが出来た。


延長線上

その延長線上があると信じてしまったのだろう。この壮大な妄想をこれほどまでに本気で作り上げてしまっていたのだから。しかし、誰も、こんな骨組みの中のカプセルホテルには住みたいとは思わないだろう、別の目的がない限りは。そして、住人の感覚を大いに外れた誇大妄想は、大阪万博とともにはじけ飛んでいったのだと。


拡大せず

もっと、肥大化すると思ったのだろうか。しかし、人口曲線はむしろ下降へと向かい経済そのものも下降へとむかう。もはや、こんな大規模建築は、必要とはされない。そして、もし先見の明のある人々なら、むしろその未来を予想できたに違いない。それが出来なかった人々の妄想は、しかし、それはそれで荒唐無稽な楽しさがあるとも捉えることが出来る。


一方で

一方で、オペラシティにて開催されている展示、「家の外の都市の中の家」でもメタボリズムという言葉は引用される。しかし、こちらでは、むしろ個人住居が自然に立ち替わっていく様をさして言っている。この展示についても、違和感があったものの、現在においてはこちらのメタボリズムの用法の方が的を射ている(ブログはこちら)。


中央主権的

そもそも、人は権力を嫌うのだと思う。だから、このような中央集権的で個人の好みを無視した集合建築的発想は、権力志向すぎて多くの人の心を捉えることは出来ないだろう。
いや、建築そのものが権力志向なのは、それは、アプリオリなものなのかもしれないが。あるときに私はそのことに気づき、それ以来むしろ建築が嫌いになった。そして、この展示で示されているのは、その権力志向そのものでもある。


絶望

そして、私は、絶望を感じた。まるで、日本の終わりを見ているようだと。華やかに飾られたお葬式のようでもあると感じた。その発展の夢から、権力志向から、覚めることを拒みなおも、そこに正解を求めようとしているかのように、この展示には感じた。しかし、これからの日本は、これとは、むしろ正反対の方向に歩いて行かなければならないのだろう。


絶望から

確かに、絶望から始まるのかもしれない、戦後のように。だから、この展示を見て、おそらく多くの人が絶望を感じた方がいいのだろう、この夢見た国はもう永遠にやってくることはない日本に今いるのだと言うことを認識して。
きっと我々は捨てることはできない、今を。だから、別の解が必要となる、このシステマチックな都市作りではなくて。


難解

その難解な課題に答えを見いだすことが出来るのだろうか。私は、まだ、絶望を超える何かを見いだせそうな予感すらしていない。
だけれども、何かの構想をぶち上げないといけないのだろう。その意味では、こういった構想をぶち上げるだけのエネルギーがあったこともまた、この時代の凄みでもあるのだろう。
この身にしみる絶望と向き合うことしか、今は出来ないのが悔しい。


関連リンク:
メタボリズムの未来都市展:戦後日本・今甦る復興の夢とビジョン | 森美術館
メタボリズム - Wikipedia
関連サーチ:
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