原美術館にて、インヴィジブル・メモリーズを見てきた



インヴィジブル・メモリー

現在原美術館で開催されている展覧か、インヴィジブル・メモリーズを見てきた、2011年12月11日まで開催中。
これは、ダイムラーの芸術振興活動として行われているアーティストの交換留学的な活動アート・スコープにて活動していたアーティストによる作品の展示。ドイツから、日本から、それぞれ二人ずつが展示している。


三人の共通点

この展示の内、ヤン・シャルマン、佐伯洋江エヴァベレンデスの三人の作品は比較的イメージが似通っている。もはや、美術界も、圧倒的な衝撃を与えることのような出来る何かは、すでにやり尽くされていて、そう容易には、全く異なるものを提示することは出来ない。であるが故に、むしろ、組み合わせによって、異なる何かを提示しようという行為へと変化していくのは必然の流れかもしれない。


装飾

この三人の作品はそれぞれに、扱っている素材や最終的な形態にはこれといった新しさは感じない。むしろ、特にさの最終作品の表面的姿は、それがアート作品だと言われなければ、ちょっとした装飾としか感じられないような素っ気なさである。しかし、そこに使われている素材とその組み合わせには、確かに何かを示唆している様子を感じる。


しかし

しかし、それは、結局そこにとどまってしまっていると感じた。こう、突破しきることは出来ていないように感じる。ただし、これが時代なのかもしれない。結局何もない、何か意味があるようで結局何も意味がない、装飾過ぎないと。ある種の力なさが象徴的に表されているようにも思う。


小泉明郎

もう一人の小泉明郎の作品は、映像作品2点。いずれも、戦争時代の日本兵を描いている。あえて、演劇的でありながら、その演劇に内幕を魅せることによって、その出来合いの感情の煽りを明確化するような作品。
たしかに、この作品は、最も印象に残った.その善し悪しは別として。いや、良くも悪くも、あえてこの繊細な題材を選んでいるところに、何か引っかかるものを感じる。そして、結局演劇的であることの虚偽性を主張しながらも、その作品でその題材を選んでいるということの虚偽性も重なってきてしまって、どうもしっくりこない。しかし、そう何かを感じさせるだけの作品ではある。


とりあえずでも

という感じで、若干批判的なことを書いてしまったかもしれませんが、まだ、メジャーな存在ではない作家の作品を見てみるのも何かと新鮮で面白いものです。


関連リンク:
Hara Museum Web
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