ICCにて新しいというトークイベントを聞いてきた



新しい<未来>

実際のところどういう事情なのかはわからないのだけれども、メディアアートの拠点として重要な施設である初台にある ICC は現在節電対応ということで、閉館中。各種イベントもお休み状態かと思いきや、自体が変化したのか、急遽、トークイベントが開催されることになった。今回のトークイベントは、新しい<未来>と題されたシリーズの第一弾で、「私たちの新しい進化」というお題で、2011年7月31日開催。過去もいろいろなテーマでトークイベントがICCでは開催されていて、私も何度か聞きに行っていたのだけれども、久しぶりに面白そうなテーマなのと、丁度夜の時間設定が都合が良かったという好条件がそろった幸運さ。


震災

この ICC が現在閉館中なのも、それは3月11日に発生した地震の影響。そして、まさに、このことが今回のシリーズのテーマとも関連するのであろう。
銅金裕司さん、ヤノベケンジさん、スプツニ子!さんがアーティスト側として参加で、司会進行がICCの畠中実さん。


ロボットを介して

この三人は、世代がそれぞれ違うのだけれども、共通しているといえるのは、その作品に、ロボットなどのテクノロジーを使っているとともに、さらにそのテクノロジーを持ってして自然との対話を試みるようなことを行っているということ。ということなので、未来的なテクノロジーと自然をつなぐという意味合いからも、今回のトークイベントのテーマには、確かにぴったりな人選だと思う。


ヤノベケンジ

で、ヤノベケンジさんから、まずはプレゼン。幼少期の万博会場の特にその解体現場を目撃したという体験の紹介を含めて、過去の作品の紹介と、その変遷にある意味合いも同時に紹介する内容のプレゼン。今話題の原発および放射能だけれども、ヤノベさんは昔から、作品のテーマとして扱っていて、ガイガーカウンタつきの防護服(アトムスーツ)を作成するとともに、そこには現代の危機意識と Survival という意味合いが込められているとのこと。そこから発展して、チェルノブイリを訪問して、そこで受けた衝撃から、Survival が、Revival へと転換。と同時に作品も、自身の防護服から、子供(とらやん)の防護服へと変化していく。
それは、視点としてはすばらしいし、それをキャラクタ化して一般にも受け入れやすい状態にまで仕上げている。一方で技術的にも使用可能なレベルに構築していて、ただ形態として作っているだけではないのが凄い。一つあるのは、キャラクタが立ちすぎて、その背後にある文脈が一般には理解されきれていないようにも思う。私もヤノベさんの作品は結構鑑賞したことがあるけれども、この公演で聞いてはじめてなるほどと思ったところも結構あった。


スプツニ子!

続いて、スプツニ子!さん。彼女の造語、Doratical Design の意味合いの説明を含む作品紹介。元々は、Critical Design という表現が一般的にあることに対して、日本においては批評が少ないが一方でアニメの中には技術に対する批評を感じさせるものがあり、そこから来る造語で、つまり、ドラえもんとRadical を混ぜ合わせて作られた言葉。
つまりは、技術の持つ負の側面も含めてその実体をあらわにするための作品作りというべきか。
作品としては、烏と対話する機会作品と、女性の生理の体験を出来るようにするロボットスーツによる作品を紹介。いずれも、それの使用者をキャラクタ化まで行い、最後は、音楽をつけて Youtube に公開までしている。史単体を拡張する部分にテクノロジーをつなぎ合わせることにより、そのテクノロジーにより埋めなければならない領域に意味を感じさせるところはある。





銅金裕司

最後は、銅金裕司さん。詳細の作品紹介はなくて、むしろかつては純粋な科学者であった経歴ということもあり、原発問題に対する考えが多く述べられる。もともと、植物の反応を機械的に翻訳してより大きな変化として表現するような作品を作っている方だけれども、そこには、自然という存在をより認識しようとする意味合いもあるのだろう。Manuality という言葉が銅金さんの提示する言葉であり、テクノロジーに対して、感性の重要性も説くという。もっと言えば、科学者はアーティスト的な感性も必要であると、そのことにより、直感的に科学の暴走に対する危機を察知できるはずだと。そのいい例が空海であり、空海は土木技術者でもあり、アーティストでもあったと。ただし、テクノロジーを無視した自然志向ではなくて、あくまで自然との対話を持ちながら技術を進化させる必要性があると。


セッション

というようなそれぞれのお話を踏まえて、トークセッションへ。話題の中心は、大震災と福島原発事故が中心に。あれ以降、何か感覚が変わったし、さらには変わらなければならないと。そんな展開。実際震災以降、このイベントを含めて様々なところで未来が語られている。逆に言えば、船頭多くして的な批評先行型な印象も否めない状況ではあるけれども、それはそれでいい意味の混乱と受け止めるべきか。
一方で、アートのその批判的なスタイルがどこまで実質的な影響を与えうるのだろうか?その批評部分まで多くの人が理解できるのか?作品の背後は消えて、その表面の現象に人々が反応するだけに終わらないのか?そんな疑問も感じながらも、しかし、確かに、アート的な別角度の感性が、テクノロジーの背後には必要であることは間違いないとも思う。


刺激

ということで、結構いい刺激を受けたイベントだった。やっぱり外に出ていろんな意見を吸収しないとだめですね。ということでこのシリーズ、今後も続くとのことなので、次回も楽しみです。


関連リンク:
ICC ONLINE | アーカイヴ | 2011年 | シリーズ「新しい<未来>」 Vol.1 わたしたちの新しい進化
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YANOBE KENJI ART WORKS /// ヤノベケンジ アートワークス
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