「驚くべき学びの世界」を今度は書籍で堪能した



驚くべき学びの世界

現在、ワタリウム美術館にて開催されている北イタリアのレッジョ・エミリアという街で行われている独自の幼児教育システムを紹介する展示「驚くべき学びの世界展」については、すでに、こちらで紹介したいのだけれども、この展示内容に大きな感銘を受けたので、その展示にまつわる書籍「驚くべき学びの世界」も読んでみることにした。


再確認、補強

基本的には、この書籍に載せられている内容の大半は、展示されている内容でもあって、展示場で事細かに展示物を読んでいけば、この書籍を読む必要はないのかもしれない。しかし、一つは、展示場ではなかなか委細まで読み切ることが困難であることと、もう一つは、展示ではあくまで主に感覚によって捉えるということをした方が価値があって、一方で書籍で理解する場合には、理論によって捉えるということに価値がありそうで、この両者を組み合わせることが最も適切なのではないのかと思う。
つまり、展示にて感じた感覚を、書籍にて再確認し、さらに補強ができるとそんな感じではないかと。


ポイント

レッジョの独自な教育においては、様々なメディアに対して子供たちがアプローチしていくのだが、その課程を整理すると以下であると捉えていいのではと思う。
まず、?対象を観察し、それを様々な角度から捉えることで、?対象を探求する。この二つの課程をさらに推し進めることで、?対象を解釈する。この先が、この教育の重要なポイントだと思う。ここで行われるのは、これらをさらに、?対象を変容させるという課程に進むこと。そして、その変容されたものを元に、?再構築を行ったすえに、最後は、また、?対象へと返却するというところへ進む。


柱のホールの事例

この?以降の後半の意味がわかりにくいとは思うけれども、たとえば、円柱のホールの事例では、柱のある空間を堪能するところから始まり、それらを最終的には、柱のオブジェや柱のグラフィックへと変容させて、柱のグラフィックはコンピュータを使って柱状に投影させるところまで進んでいる。


返却の重要性

ここでは、返却という行為が重要だと思う。独自性とただばらばらであるというところの境目は実に曖昧で難しい。このレッジョの方法論における歯止めの一つは、返却という行為だと思う。つまり、解釈し変容させた上で、一つの作品として仕上げるとところまで進み、さらにそれらを元の場所と対比させるレベルにするということ。これにより、ただ散乱するという結果に陥ることがないようになっている。


コミュニティ

もう一つ重要なのは、コミュニティであろう。これも散乱に対する歯止めになっていて、子供たちは、単独にて行動するわけではなくて、グループで行動する。この結果として独自性とともに社会性が形成されていく。結果として、バランスがきくという展開になる。


研究

その教育的側面のみならずに面白いのは、これらの行為を元に、大人たちも学んでいるというところ。研究対象というと聞こえが悪いかもしれないが、子供たちの学びの姿を通して大人たちも自身の思想を柔軟なものへと変えていくことが出来る。また、教育を教え込むという行為ではなくて、教育を眺めることで、人間の「習得のコンテクスト」を理解するというレベルから眺めることができるという発想が裏にはあることも見逃せない。


小都市

しかし、これは、小都市であるから出来ることなのだろうか?そうかもしれない。だとすると、コスモポリタンな発想ではなく、マイクロポリタン(いい加減な造語です)的な発想でなければならないということかもしれない。
しかし、小都市による行為の難しさは、有能な人間がそれほどの数は存在し得ないというところがある。私には、まだこの問題に対する適切な解は見いだすことは出来ない。ただ、しかし、このレッジョの幼児教育の試みは非常に有意義なものであると思う。


関連リンク:
レッジョ2 驚くべき学びの世界展
レッジョ・エミリア - Wikipedia
関連サーチ:
驚くべき学びの世界(AMAZON.co.jp)
驚くべき学びの世界(Google)
驚くべき学びの世界(Technorati.com)
驚くべき学びの世界(flickr)
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驚くべき学びの世界〜レッジョ・エミリアの幼児教育〜
発売日 : 2011-03-28 (単行本)
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