記号という解釈のもとに、大丸ミュージアムのミロ展



東京駅

依然として工事中で、どんどんと変化していく東京駅にある大丸にある大丸ミュージアムにて、2009年3月22日まで開催されているミロ展に行ってみた。


記号的分類

ミロの展示じたいは、結構やられているので、どこまで新しい発見があるのだろうという気分で行ってみたのだけれども、今回の展示はちょっと特徴的であったために、良くも悪くも新しい発見があったといえばあった。
展示は、例えば年代順などといったことではなくて、この展示では、ミロが用いる様々な記号的絵画のパーツによって分類して、読み解いていくという展示。もともと、各図柄の象徴的な意味合いはよく解説されているけれども、ここまで割り切ってその内容で整理した展示は初めて見る気がする。


物語

で、この記号的な観点を重視してミロの絵を見ると、そこに感じていた自由な何かが突然に崩れていってそこにはある種の計算があるかのように感じられてくる。そして、それは、むしろ意味を廃しているとも感じられる抽象的な画面が、物語を有しているかのように感じられてきた。つまり、様々な情景を記号によって単純化することによって、画面に割くべき領域を狭めて、そのことによって、物語を語る可能性を広げると。
もともと、絵画自体は、物語を平面によって描く物であるし、ある種の物語性によって、絵画を読み解こうとすることはしばしばある。ただ、ここまで準備されてしまうと、本当にその解釈でいいのかと思ってしまう。


わかりやすさ

それは、返せば分かり易さということであって、展示場所の特性を考えれば、そして、実際にきていた人々が小さな子供を含んだ家族連れとか、老夫婦だとかだから、それは適切な行動であるのかもしれない。


幻想

もしくは、絵画の中にある自由のような物を思うことの方が幻想なのかもしれない。


記号

しかし、一方で記号として捉えた場合。記号の最も象徴的な物は記述言語であって、記述言語は少々の形態のくずれまで許容してただその物事だけを表現する。しかし、それを組み合わせることで、小説になったりと芸術作品になり得る。というと、ミロの作品はそういったものに近い要素があると言うことなのだろうか?


ということで

結構賛否両論な展示な気もするのだけれども、実際のところはどうなのだろうか?


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