六本木に集合した現代美術



六本木クロッシング

六本木森美術館で開催されている現代美術の総合展示、六本木クロッシングの2007年版が現在開催中(〜2008/1/14)で、行ってみる。


ひたすらに虚しさ

近年の美術家の作品を数作品ずつ集めて、順番に展示。
入ったとたんから、いまいちいやな感じがしたのだけれど、結局最後までそのまま。
で、何がどうかというと、全体的になんともいえない虚しさしか感じなかったということ。それが展示の狙いではないのかとさえ思わせるぐらい。
そもそも、現代美術のその方向性は、時に、何を目指した表現なのかがわかりにくくてその存在意義が、特に愛好する人以外からの視点からすると、怪しく感じられる、ということは多々あるけれど、その部分だけが強調されているのでは、という風にしか、私には、感じられなかったのが今回の展示で、見るほどに虚しさが募っていく展開。


変な明るさ

その辺のなんというのか、虚しさの部分はなにかというと、全体的に、まずなんともいえない明るさがあって、だけれども、どこかに通常ではないという事を無理にアピールしようとしているかのような様子が感じられるところ。これが、どうにもこうにも、虚しい。結局独り相撲である事をむしろ認めてしまって、だからどうしたとでも言いたげな感じ。これであれば、先日のエントリーで書いた東京都現代美術館の”Space fo your Future”なぐらい、アートという枠をむしろあきらめて、デザインという言葉誤魔化そうとする様子の方が、はるかに潔く感じる。


徒労

あとは、ここ最近の傾向というか、絶対的価値が意味をなさなくなって以降の傾向として、ひたすら羅列するというスタイルの表現が増えているけれども、これも、もう限界に来ている感じがする。はっきり言って、この羅列型のスタイルは、文学の世界で遙か昔に実行したサミュエル・ベケットのレベルには到底たどり着いていないし、一方で、写経のようなものと伝統側に理由を求めようとするのも、なんだか、新たな価値の提示に対して、ほど遠い印象もする。しかも、その羅列が何とも徒労に終わっていて、その羅列に伴う苦行の部分が何一つとして感情に入ってこないところがさらに悲しい。例えば、それが鑑賞者側にも苦行をかんじさせるとか、なにか鑑賞に伴うものがあればだけれども、それもない。


規模も縮小?

全体的にそんな感じで、私の個人的な感覚としては、特に印象に残る作品もなくだった。そのせいなのか、実際にそうなのかはわからないけれど、過去に比べて全体の展示がこじんまりしていたような気がした。なんか、もっと疲れ果てるほどの圧倒感が過去の展示では会った気がするのだけれども。


時代

しかし、まぁ、こういった印象に帰結する展示というのも、ある意味では、見事にこの時代を表現しているような気もする。延々と努力してみても、それが表出して、誰かの感情に触れる事もなく、ただの虚しい努力として終了するのみで、そして、全体的な明るさのような物が何となくあるかのようにも思わせるのだけれども、その実一体そこに何か充実した物があるのかというと、ふわふわとしたとても不安定な状態があるだけで、価値も定まらず、ただ存在しているだけという印象で。だけれども、そのただ存在しているだけでいいじゃないかと開き直ってみようと思うのだけれども、そうも言い切れずという。
きっと、人によって感じ方は違うと思ういます。上記はあくまで個人的な印象です。


関連リンク:
dLINKbRING.Art.六本木森美術館
MORI ART MUSEUM
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