等身大の約束 : 東京都現代美術館



1.MOT アニュアル
毎年この時期に、東京都現代美術館において開催されるMOT アニュアル。比較的若いアーティストの作品をあるテーマの元に集めて展示をしているアニュアル展。これが、毎年、視点が非常に現代的で、見事に時代を批評していて、個人的には絶賛している展示でもある。


2.等身大の約束
今年(2007年)のこのテーマもまたすばらしい。グローバルになり、ネットが張り巡らされるほどに、個人のその存在が希薄になり、その反動として、自己愛がはやる。そんな現実を見事に表現した言葉だと思う、等身大の約束。


3.等身大すぎるかもしれないか(以下はネタバレなので注意)
作品の方を少し紹介してみる。
3.1日本の田舎
まずは、ジャポネスクな田舎の風景をノスタルジックな写真で、もしくは、家屋や灯籠などで表現する作品。露骨に父母祖母祖父などの言葉が書き込まれる。個人的には、これは無いと思う。これは、私自身の問題なのかもしれないが、この時代に、ノスタルジックになる意味があるのだろうか。振り返って求めてみてもしょうがないものではないのだろうか。そして、それらをどこかで求めているようで、実はそれは現実から一時的に回避するための夢想に過ぎない、というところが描かれないと、意味がないのでは、というのは、個人的意見。
3.2Map
地図。そこに残された歩いた軌跡。そして、歩いた場所ごとに作られた刺繍と日記。Google Map などがあふれている現代だからこその手作り感なのか、そして歩くという、原始性。だけれども、ブログの痕跡と同様なものが感じられるだけ。そして、ブログの痕跡であれば、こういった個人の作品としてではなく、膨大な数の特定できない個人の作品の集積でなければ、面白くないように思う。あまりにも、等身大。
3.3番号
続いて、明らかに現代の個人の特にネットなどのコミュニケーションの状況を感じさせる作品。毛布を被って、アンテナだけが伸びている、個人、家。番号が振られた無数の個人の顔。特に、この番号が振られた個人のその明るさがいいと思う。むしろ、番号や記号を好んで自分につける。とても現代的で、かつては番号をつけるという行為は、負の印象であったり、権力的なものを感じさせたものかもしれないが、現代ではそうではなくなっているように思う、少なくともある文化では。あえて身につける匿名性。一方で、それは匿名性のようで、異文化を飛び越えていくことの出来る共通言語のようでもあり、そして、番号だからこそ出来るデータベース的集積。毛布を被っているようでも、実は、多くのものと伝達しているのかもしれない。
3.4胎児もしくは宇宙人
バランスが成人のそれではない、人物のような肖像。およびオブジェ。奈良美智の方法論との類似性と全くの差異。絶賛も出来ないけど、批判も出来ないという印象。
3.5かけら
物質に固執した作品。堆積していくほこり。粉末にされた思い出。毛皮、角、リアルなものから絵画へ。ものへと落ち込んでいったときに、その出自は消え去って、解説がなければわからないものに変わってしまう。分離してから、だから、説明を加える。説明となるものを横に置く。意味とは何か。解説が付いている絵画との相違点は何か。そして、その物質は説明がないときに物質的なのだろうか、むしろ、物質的なのだろうか、ということは、むしろ物質を否定しているのだろうか。


4.約束
約束という言葉がどこか意味深である。むしろ、約束されたものが失われているかのように思う現実。見えない未来に対して、ただ進んでいる。それが、当たり前なのかもしれないけれど。だから、等身大の範疇では、約束ごとを生み出したいということなのか。確かに、そのような作品群として受け取れなくもない。とすると、このタイトルは展示作品を賛美しているのか、それとも、痛烈に批判しているのか、それとも、現実を批評しているだけなのか。
なんとなく、自分自身を見つめてみたくなるような等身大の作品展だと思うので、特に若い人々には感じていただきたい展示。


5.常設展
近頃、様々なコンセプトで展示が行われる常設展。今回は、「闇の中で」暗がりの展示室に、並べられた作品。こういう風に、様々な方向性から常設展をやっていただけると、何度も訪れる価値を感じることが出来て、とてもうれしい。


関連リンク:
dLINKbRING.Art.東京都現代美術館
東京都現代美術館:MOT
関連サーチ:
MOT アニュアル(Technorati.jp)
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