原美術館:束芋 ヨロヨロン



1.概要
さて、品川駅から少し歩いたところにある小さいけれどとても若い現代美術の展覧会をしばしば開いている原美術館にて、2006/06/03〜08/27束芋ヨロヨロン展が開催中。和風感漂うアニメーション作品を中心として、かなりいろいろなところで評価されている作家。いくつかの展示で私自身も鑑賞したことあり、あと、DVDとか絵本とかもそれなりに発売されていて、既に、人気も高く美術界からも評価の高い作家。


2.混み合う
ということもあってか、かなりのこみっぷり。映像作品であるが故にというところもあるのかもしれないが、並んでまで見ることになるとは意外。大概の現代美術展での映像作品って、虚しく流れっぱなしの場合が多いので、この盛況ぶりはすごい。


3.作品
作品のほうは、原美術館の構造を巧みに取り入れた作品もありながらで、5つ(6つ)の映像作品とそれから、いくつかの原画。で、やはり、うまいと思うのは、取り扱う映像自体は癖があったり、毒味を感じさせるところがあったりするのだが、表現の仕方というかストーリー作りがすっきりしていて、起承転結というと変だけれども、全体の構造が掴みやすいところ。多くの現代美術の映像作品は結構ひねりにひねられた末に、単純化したり、もしくは、複雑なまま提示したりというところで、掴み所に困る場合があるけれど、そういったところがないってのが、一般人気も高い理由だと思う。また、かといって、単に面白さだけをついたという浅い単純さという訳ではなく、ランダムに登場してくるかのようないくつかの表現が、それぞれがそれぞれに何かを象徴的に示しているようなところがあり、それが社会全体像へと繋がっていくところが一過性に終わらないおもしろにもなっているとも思う。


4.最近の映像作品
ところで、少し飛躍すると、最近の現代美術の映像作品って、結構成熟してきて、手法も落ち着きつつあり、落ち着いて見ることの出来る作品が増えてきたような気がする。映像になると、絵画に対しては、時間軸とそれから場合によっては3次元的な奥行きのアドバンテージがあり、インスタレーションに対しても時間軸というアドバンテージがあるが故に、表現出来ることが多すぎて、かえって、詰め込みすぎが生じる結果となっている気がするときがままある。しかし、この束芋の作品もそうだし、近頃見る映像作品って、結構こなれてきて、過剰にいろいろなものを詰め込まず、むしろ、セルアニメ的な手法というか2次元静止画の要素のほうへ近づきながら、3次元動画の特性を付加するという方向があると思う。で、こうなるときっと見ている方も、脳の処理自体があまりに複雑なものだと追いつかないのだけれど、2次元静止画へ近づいている分脳の処理が丁度間にあう程度になってきて、わかりやすく感じるのではという気がする。まぁ、見る方も慣れてきたという要素もあるかもしれないけれど。


5.書き言葉、話し言葉
あと、最近少し思うのが、実は日本人は文字というか文章が好きではないというか、日本語ってやっぱり話し言葉と書き言葉があまりにも離れすぎていて、結果として日本人が文章から離れてしまうということになっているような気がしてならない。そもそも、母音主体言語というところが、話し言葉的にも違和感が残るところになっていたり、一方で、文法自体も、実は思考パターンに対して素直で無いような気がしてならなかったりと、使いこなすことが難しい言語のような気がしたりもする(思いこみかもしれないけれど)。このあたりは、個人的特性かもしれないが、少なくとも私は英語文法のほうが考え易いし、そのまま、言葉にし易く感じる。日本語で日本の文法にしっかりとした文章を書こうとすると、書こうと思いついた内容を再構成する必要がかなりあって、その間にリズム感が失われてしまう場合がある。日本人のブログって極端に文字数が少ない一方で、海外のブログっていやになるほど文字があるのも、その辺の理由もあるのではというかなり勝手な推測をしてみたりもする。


6.アニメと日本語
という話を何故、こんなところに持ち出したかというと、この束芋作品の連想として、日本アニメの隆盛ってのがちょっと頭によぎったから。考えてみると、何故日本でアニメかというと、上記にまとめた内容の結果としての書き言葉からの離脱という側面が強いように思う。漫画自体は私自身は詳しくないが、だいたい漫画の文章は文章ではない。だけれども、それはそれとして意思伝達は出来ている。実は、普段我々が実際に使用する言語ってそのようなレベルであるように思う。それに対して、日本語の書き言葉はというと、不自然に感じるところがあるのは事実だと思う。結果として、文章表現が漫画表現に取って代わったのが日本の現実のような気がする。ただし、文字に落とし込まない思想というのは少し不十分で、何が不十分かというとメタ的な思考にたどり着けないというところ。変換という作業が生じないと複雑な思考は出来なくなってしまう。結果として主張したいことはもっと自由に日本語の文章を書くべきであるということ。それは、ここに書いている文章の読点だらけで、だらだらと続き過ぎる文章の言い訳でもある。


7.総括して日本的
そういった漫画やアニメと同列に並べることはこの束芋映像作品に対しては出来ないと思うが、ただ、束芋作品ってそれらの要素も含んでいるとことがあって、その結果としてとても日本的なものになっているように思うところが強い。それは、映像の内容であったり、その取り扱うテーマ自体もそうであるが、そこにさらにその表現方法が、強く非言語的なところ(作品に象徴的な要素が入り込むと出力として非言語作品であったとしても、言語を一度介した非言語作品であって、言語的作品と感じられる。)もまた、日本的で総括としてかなり強く日本がにじみ出ていると感じる。また、そこが分かり易さにも繋がっているのだろう。メタ的な要素が強くなりすぎず丁度良い頃合いであるといっても良いかもしれない。


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