生誕100年記念 吉原治良展:東京国立近代美術館

1.概要
美術グループ”具体”で有名な吉原治良の生誕100年記念展が2006/7/30まで東京国立近代美術館にて開催中。


2.全貌
吉原治郎というと、あのでかい画面いっぱいに描かれた”丸”の絵を思い起こさずにいられず、一方で、それ以外のタイプの絵の印象が無いというのが実態だと思う。この展覧会では、初期から晩年までを網羅した展示になっていて、そのため、その”丸”以外の作品も多数見ることが出来る非常に重要な機会ともいえる。


3.まるで抽象美術史
そして、順番に見ていくと感じたのが、彼自身の作風が時代とともにどんどんと変化していっているという事実である。それは、具象画から抽象画への変遷の美術史をそのまま表しているというような感じでもある(そして最後に"具体"に至るわけだ)。ただ、それがまさに美術史をそのまま表しているようである反面として、どこか、突き抜けたオリジナリティに到達していないという印象も残る。最初に藤田嗣治に絵を見せたときに、”他人の影響がありすぎる”というような指摘を受けたとの記述があったが、全体的な氏の絵の展開を見ると、その要素が一生つきまとったという言い方も出来るのかもしれない。勿論、どのようなタイプの絵においても、あるレベル以上のものに達した作品を残し続けたということ自体はすごいことである。


4.最後に到達
しかし、そのどこか美術史の縮図のような印象を完全に破壊したのが、やはり”丸”なのだというのが、この展覧会を見て、改めて強く理解出来た気がする。最後の最後に完全に誰からの影響も感じさせない、完全にオリジナルなものが、”丸”であるのだと。実際"丸"作品は晩年の数年間しか書かれていないにもかかわらず、強く存在感を提示しているのだから、その事実がおおくを表現していると思う。


5.オリジナルという困難
完全にオリジナルであるというものを生み出すことの困難さとそれが生み出されたときのそのものの存在感の強さというものを改めて強く感じさせられた。どの作品もすばらしいけれど、やっぱり”丸”なんだと。それはとても単純の形態だし、色で言えば2色しかない。眺めていても、そこには何かを読み取る何かは何もない。ただ、大きく”丸”なだけなのだ。地球だとか肯定だとかそんな意味づけはすべきではないだろう。ただ”丸”なのだ。美術の力を再認識させられた展覧会であった。


関連リンク:
東京国立近代美術館 map:x139.7532y35.6923
具体美術宣言
芦屋美術博物館
関連サーチ:
吉原治良(Google)
吉原治良(Wikipedia(JP))
吉原 治郎(Technorati.jp)
吉原治良(del.icio.us)
Powered BY AmazoRogi