パウル・クレー展を東京国立近代美術館で見てきた



パウル・クレー

色彩に特徴のある独特な抽象画で知られるパウル・クレーの展覧会が、東京国立近代美術館で開催されているので、見に行ってみた。ちなみに、2011年7月31日まで。


手法

今回のこの展示は、パウル・クレーの作品を単純に紹介するという展示スタイルではなくて、冒頭がクレーが自らのアトリエに飾っていた自身の作品のそのアトリエの様子にも言及しながらの展示がなされていて、その次に来る大広間での展示では、あえて斜めに配置された壁面を使って、そのクレーの作品作成技法に言及するというスタイルをとっていた。
ということなので、どちらかというと、たとえば、時代などにより分けられた作品を順番に鑑賞するというようなものではなくて、手法を理解しながら鑑賞するというスタイルになる。


それで?

で、この展示スタイルが、私にはどうもしっくりこなかった。こういった手法に言及する展示は、過去他の場所で、ミロの作品に対してとか、マティスに対してとかもあったのだけれども、まぁ、そのときもそれでどうかと思ったのだけれども、それ以上にどうも、これ、どうなんだろうという、結構いい値段の展覧会で、そこそこ混んでいた割には、今ひとつ楽しめなかった。
正直言って、転写して色を塗った作品だろうが、切ったり、つなげたりした作品だろうが、裏表に書かれた作品だろうが、それで何?ってのが印象。
こういった手法の分析を展示の途中のアクセントとして用いるならいいのだろうけど、それをメインにしたら、まぁ、夏休みの宿題の題材としてはちょうどいいのだろうけれども。。。


没入できず

なによりも、これ、いまいちなのは、手法があって、それにそって展示されるので、どうしても、手法を見ようとしてしまって、作品に没入できないこと。さらに、個人的な印象としては、いい作品を集めることに失敗したんじゃないかと言うぐらい、目玉作品がなかった。逆に、目玉作品がないから、こういう展示でごまかしたのかなとさえ思えてしまった。


脳の転換

私にとって、美術を鑑賞する価値の一つは、今ひとつ意味が初見ではつかめないものに相対することで、日常生活で凝り固まった脳の発想を転換させることに役立つというのがある。だから、ある程度意味不明なものが、しかし、圧倒的にそこに存在していることに、大きな意味がある。だけれども、この展示では、圧倒的ではない作品に、さらに意味が付与されてしまっているのだから、これは、面白くない。全く持って、脳の転換につながらなかった。


稚拙な遠近法

まぁ、一つ新たに感じたのは、クレーの独特な曲がった線っていうのは、初期のある意味稚拙でもある遠近法を律儀に再現しようと消失点まで線を引いてみたりしていたことにあるのかもということ。そのことにより生まれる微妙な立体感が、むしろ、そこにある造形を抽象化してしまうことに役立っているのだろうなと、そして、その稚拙さにどこか、シンパシーを感じることで、不思議な抽象画が、しかし、暖かみを持って感じられるのかもしれないと感じた。


まぁ

まぁ、ということで、なんか、期待満点で見に行っただけにちょっと残念。クレーの作品の壁に没入したかったという思いが達せられないという残念さでした。


関連リンク:
パウル・クレー展 ―おわらないアトリエ PAUL KLEE:Art in The Making 1883-1940|トップページ
パウル・クレー - Wikipedia
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