もっとも深刻なデジタルディバイドについて

1.Google Gadgetを入れてみて
Google Desktopをバージョンアップして、そして、Google Gadgetをいろいろと仕込んでみた。これがまた実にすばらしい出来だと、感心しながら、近頃WEB2.0が言葉の先走り気味だという評論はその評論こそが言葉の先走りであって、やはり、すごいことになってきていると実感する。というか、まだまだ、先の長い道のはじめの数歩を進んでいるだけとしか思えない。例えば、このGoogle Gadgetのおかげで、今まで何となくそれなりというレベルでしか処理しきれなかったRSSフィードなどの情報をうまく処理出来るようになる(はず)。そして、きっともっともっといい処理方法はあるはずで、きっと誰もがアイディアを大量に抱え込みながら、それを作る時間が足りないというのが現状だろう。エンジニアが足りないのもうなずける。そして、Google Gadgetをしても、まだまだWeb Contentsを最大限に利用するというところへはまだまだ遠い道のりだ。


2.いよいよモニタが足りない
パソコンでいろいろな情報が手に入り始めるととにかくモニタが足りなくなってくる。またまたGoogle Gadgetの話になるが、天気予報からニュースからさらには自分の持っている画像データからFlickrなどのオンライン画像データなどなどを画面に表示させることが、このGadgetで簡単にできるようになった。すると、これらを是非とも常に画面に表示させておきたい。だけれども、一方で、パソコンの作業もあるので、画面をそれらに占領させていては困る。仮想デスクトップを駆使したり、CPU切り替え機で・・・などなどを使ってみても、やはりどうにもモニタが足りない。つまり、パソコンでの情報取得が便利になればなるほどモニタが足りない、すると、モニタの需要が増えるというか、明らかにテレビはもはや電波受像器ではなくて、まさにモニタとしてがんばって欲しくなってくる、せっかくそこにあるのになにも表示していないテレビがあればそれはあまりにも勿体ない。電波情報も表示するけれど、ネット情報も表示させるもの、そう、テレビの役割はモニタへと変化していくのだろう(現在進行形)。わざわざ天気予報の時間に合わせてテレビをつけて天気を確認するより、ネットの情報を常に表示させておく方が便利に決まっている。


3.恐るべきキャノンの先見性
と、こう考えてみると、キャノンの御手洗さんはやはりすごい経営者だと気づかされる。SEDという後発薄型モニタを必死に作っているが、当初私も、何故なのかと理解できなかったのだが、ここに来て、はっきり理解できてきた。これからは、モニタの時代なのだ、ネットが発達すればするほど、全てがモニタに表示させられることになる。手の内にものを持ちながらそれを活用できずに出遅れたソニー。手の内にものを持たないけれども時代を読んで独自のものを開発しているキャノン。そして、例えばGoogle GadgetのPhoto Viewer を使って例えば、デジカメの画像をスライドショーさせるという使い方をすれば、近頃溜まり気味になっていると誰もが感じているだろうデジカメの画像も有効に使えるというものだ。そう、デジカメとSEDが繋がる。


4.そしてテレビはリモコンになる
そして、やがてパソコンが全てをしきるようになるのだろう、何年もまえから言われながらどうにも展開が目に見える形にならないユビキタスは、しかし、実現する。そしてそれはきっとそれほどややこしいシステムではなくて、ようはテレビがリモコンになればいいだけのことだろう。というか、パソコンとモニタのセットがリモコンになると言う方が正確だろうけど。つまり、家の中にある家電は全てパソコンとモニタのセットがコントロールする、そして、それはいくつものリモコンが家の中にあふれて困り始めている現状に対して、リモコンをパソコンの中に入れてしまって、そのソフトリモコンによって操作すればいいということで実現されるのだろう。となると、デジタルとリアルが繋がり始める。そして、そのデジタルとリアルをつなげるインターフェイスが、まさしくモニタなのだ。モニタが至る所にあれば、家の中の様々な電化製品の(どころかひょっとしたらそれ以外のものも)稼働状況をモニタ出来る。そして、きっと制御出来る。やっぱりモニタなのだ。日立が近頃発表したペーパーディスプレイもまた、可能性の高いものだろう。やはり、日本の企業は強い。


5.ところでタイトルは?
そうだ、このブログのタイトルは”もっとも深刻なデジタルディバイドについて”であった。何故そこに繋がるのか?もう、既にある程度は気づかれているだろうが、全てがパソコンとモニタになっていくと、それを使いこなせる人とそうでない人で差が出てくる。いや、と言うわけでは実はない。きっと、物事が便利になれば、誰でも使えるようになるようなものがでてくるだろう。若干の時間差はあるとはいえ、使える使えないの差はまだ許容できるものと思う。勿論今の時点でも、RSSを使っている人とそうでない人とでは情報量が圧倒的に違うというのを肌身で感じる。既に差がつき始めている。それが有意義な差なのか、それとも、ただ情報におぼれているだけなのかは別にして。ただし、ここで言及したいのは、そういったレベルではなく、”もっとも深刻な”なのである。


6.デジタルは信用できない
デジタルに対してアレルギーといっていいほどの反応を示す人たちがいる。そして、その中にはデジタルを徹底的に批判する人たちがいる。そういう人たち、および、そういう人たちに支配されてしまった組織が、これがもっとも深刻なデジタルディバイドにやられてしまうことになるだろうということだ。昨今、特に製造業関連では団塊世代の退職によりノウハウの継承がなされず企業を損失を被るという話があるが、そこにこだわると、企業は敗北するのではないかと思う。そこで、損失が出ることは確かだし、団塊世代のノウハウには恐るべきものがある。
6.1 失わなければ得るものはない
しかし、人は、失わなければ得ることが出来ないことは、多くの人が経験していることだろう。つまり、ノウハウの継承にばかり気をとられているよりも、そのノウハウを転換させて次のデジタル世界へと舵をきるよりほかない無いというが現実のはずである。きっと、これが出来ない企業は現在は成功していたとしても必ず敗北する。
6.2挑戦者にはチャンス
そして、それは現時点で既に多くの有形無形の資産を持っている企業において、特に危険性が高い。持たないものは、チャンスがあれば、どんなところにも入り込んでいこうとする。デジタル転換というのは挑戦者にとっては最大の革命的チャンスだろう。そして、そこに様々な国の挑戦者が様々な今までにない武器を手にして、乗り込んでくる。今までの成功体験は既に通用しなくなっていることに気づかないでいると危険なのだ。デジタルアレルギー、デジタル不信、そして何よりも自分たちの成功体験だけを信じ切っている姿勢、これこそがもっとも深刻なデジタルディバイドだろう。もしかすると、Web、ソフト系で働く人々にとってはこの感覚はぴったりこないかもしれないが、ものづくり系で働く人々でかつデジタルに慣れ親しんでいる人はこれらをひしひしと感じているのではないだろうか。
6.3人間はメタを行う
いずれにせよ、コンピュータが処理と制御をする、それをメタ処理しメタ制御するのが人間の役割なのだろう、これからの。そして、それが何を意味するかというと、今まで様々な作業に煩わされていた人々が解放される一方で、その作業はコンピュータにとって変わっていく、どんどん処理することが出来る人はどんどんと作業を進めて、その前であたふたする人は、あたふたしっぱなし。それが個人間であれば、きっと問題は大きくないし、そういったことに似た事例は現時点でもあるだろう。大きな問題は、そのあたふたを組織としてやってしまうことである。これから勝つためには、デジタル化をどんどんと進めるしかないと思う。工場の完全自動化をもくろんでいるキャノンはやっぱりすごい。
6.4アナログは既に負けている
ソフト系に近い業界では、すでにアナログは負けている。もはやレコードなどメインストリームではないし、CDでさえその立場が危うい(私自身はオーディオ愛好家なので、レコードも持っているし、聴きもするし、音もいいと思うが、iPodLast.fmの威力はすごいと思うし、実際に利用して便利だと思っている)。辞書にしたところで、今や多くの辞書はCD付きだし、オンラインのものも多い。辞書のページをめくることが重要だと言っていた時代があったが、今は昔。つまり、その行為の価値が実際にあったとしても人間はより便利なものを使うのだ。より高い付加価値を求めない限りは。現時点でも、やはりいい音で聴きたい人は、レコード盤を持ってきて、プレイヤーも、カートリッジから何からお好みをそろえて、セッティングに時間をかけて聴くだろうし、意地でも英語を習得したい人は、生の辞書をめくるだろう。だけれども、私自身も残念に思うが、しかし、それはメインストリームではない。
6.5だけれどもアナログ
もちろん、アナログ技術を否定する気はない。ただ、そちらに気をとられすぎてそこにこだわりすぎてしまう姿勢は時代に負けるだろうと言いたい。そして、成功している企業が今までの資産を生かしながらデジタル転換すれば、最強のアナログデジタルタッグができあがるようにも思う。ただし、その実例は少ない。DENONiPodを作れなかった。紀伊国屋AMAZONを作れなかった。NewYorkTimesはMyspaceを作れなかった。人間の先入観のすごさと弱さの実例かもしれない。
6.6つまりそれが深刻なデジタルディバイド
そう、自分自身を転換出来ずにデジタル化に遅れることがもっとも深刻なデジタルディバイドなのだろう。少なくとも、自分自身はそうならないようにしながら、一方でただデジタルに踊るだけにならないようにしなければと思う。そして、そのように組織が動くように振る舞うべきでもあるのだろう。


7.コピーも許してしまえ
最後は少しおまけの思いつき。
そして、ソフト業界では様々なOpenSourceが生まれているが、そろそろハード業界でもOpenSource的に特許をやめてしまうっていうことは出来ないのだろうか?これについては、まだアイディアが浮かんだだけで具体的にそれをどうしたらいいのかが分かっていないのだが、少なくとも、コピー商品になやまされてそのあげくに法廷闘争になるというのは、結局誰のためになるのだろうかと考えると・・・。勿論開発費の捻出、回収というのはあるのでどうにもこうにもだが。それとも、ハード系になるとやはり、コスト0空間の外に出てしまうが故に無理なのだろうか?