Social であること。(その4)

1.復権
今回で、この連作コラムも最後にしようと思う。
私がblog(前身のものも含めて)を始めた理由というのは、
このblogの一番最初の記事に書いてあるのだが、ネットが
その初期のフリーであり、マイナーなもののための、
個人のための存在だったものから、徐々に変化して、
自由は失われ、広告だらけになり、そして、情報がメジャーなものに
偏りつつある、もしくは、マイナーなものが見つけにくくなる
そのような状況になりつつあることを非常に残念に思い、
少しでもマイナーな情報を発信してそれを見つけることが出来る
場を作ろうという思いであった。
現時点では、その構想とは裏腹に結局貧相な普通のblogにしか構築出来なかった
という残念な状況ながらそれでもまだ続けることは出来ている。
しかし、昨今その状況が変わってきて、そしてそれを
端的に表現する言葉がweb2.0であり、Socialであった。
そのように、マイナーなものをつなぐものとしての機能を
ネットが取り戻してきていることにも、また、純粋に興奮を感じている。

2.理想像
きっとこれはまた循環して、このような理想的な状態から
遠ざかっていくのだろうが、それはしょうがない。
しかし、人々が思うように物事が少しずつ変化して、
理想像のほうへと動きうるのだと発見できたことは、
非常にすばらしいことだと思う。
個人の、とりわけ私のような人間が出来ることなどしれているが、
それでも、理想像のためにという意識を捨てないことが
やはり重要なのだと思う。

3.人民の
そして、まさにこの状況こそ、人民の人民による人民のためのネットではないかと。
多くの人によってフリーのソフトが開発されて、そして、そのソフトを
友好的に使うためのマニュアルをネットに誰かがアップする。
それを利用する。そして、それを利用した新しいサービスが始まる。
そして、また人々がそれを利用する。その上で、また別の情報交換が始まる。
目をそらしてはいけない現実は多々ある。それは、ネット上にも現実世界にも。
しかし、ここに一つの理想郷のようなものがあると、
そのように盲信してみるというのもたまには良いのではないかと。
そして、そのように思わせてくれる少なくとも外観はweb2.0に存在する。
様々な荒波を乗り越える力にもなると、
何という意味のないというか脱線した感傷だと思いながら、
これを締めにしたい。