いまここにある風景 中国のこの景色は・・・
東京都写真美術館
さて、写真家の Edward Burtynsky による中国の様々な開発現場の写真集が結構衝撃的なのですが、その写真撮影にまつわる各開発現場の様子をドキュメンタリーとして映画かしたのが、「いまここにある風景」で、現在東京都写真美術館などで開催中。ちなみに、最近は、Andreas Gurskey などの影響もあって、都市を無機質、幾何学的に捉える写真がはやっているが、 Edward Burtynsky の写真のタイプもそれに近い。ただし、 Edward Burtynsky の写真は、その背景により思いテーマが据えられている。
批判
中国の工場から、積み上げられた廃棄物、削り取られた山、解体される廃船とそのそこに残った重油、山峡ダムの開発現場。開発によって、人口的に築き上げられた光景は、複雑系な自然界ではあり得ない反復性を持った独特の整合性であったり、異様な色彩のバランスであったりを持つものであって、それが写真として切り取られたときには、そこにある異様な人工性を超えてどこか美しさを感じさせられたりもする。この切り取られたそれが美しく感じるかもしれないという感覚こそが、とても多くの事を物語っていて、ここにあるこの人工的に構築された異様な光景は、しかし、文明国に清潔な都市に住む我々とは無縁ではない。そして、都市にいて、この光景を映画もしくは写真として鑑賞している我々は、ただ、この光景を批判するだけでいられるだろうか。多くの文明国は、世界の工場中国に多くを依存していることは最早否定できない真実である。
都市化
全体的に多くの物事が衝撃的だったけれども、上海の都市化はその中でも群を抜いてとても衝撃的だった。超高速に都市化していく街。伝統的なものは、もしくは、土着的な生活は一気に引きはがされて、都市へと変貌していく。自身がこうして東京という都市の生活を満喫している以上、この様子を批判できはしない。むしろ、より都市化が進むことが望まれるとさえ思う側面もある。勿論、その影響により悪夢に陥る人がいることを忘れてはいけないのは事実であるのだけれども、しかし、では、どうすればいいのだろうか?都市化は止められるべきなのか。全ては、バランスなんだと主張する事も出来るかもしれないけれども、しかし、一体何がいいバランスなのか?とても、安易過ぎる主張に陥ってしまう。そう、この映画を前にして、我々は、ただ戸惑うことしか出来ないかもしれない。山峡ダム
そして、かつては大きな話題となった、世界最大のダム、山峡ダムの光景も、また衝撃的だった。一時の大きな騒動はいつの間にか鎮静化して、ほとんど扱われなくなった話題、山峡ダムは、しかし、まだまだ建築中で、そして、消えゆく村落は、徹底的に破壊されている。ここでも、構築の影で破壊が行われている。いや、そんな物かもしれない、何かを生み出すには、何かが無くなる必要があると。石油に依存しない発電なのだから、むしろいいではないかと主張することだって出来るし、それ以上に大きな環境と文化の破壊だとも言える。だけれども、止めることは出来ない。それは、そこが中国だからなのか、それとも、これが20世紀以降の文明の進み方であるからなのか。悩ましく
そう、常に悩ましい。そして、そこに静止画として提示される写真の光景がどこか美しいところが、また、感情を混乱させる。ここのところの経済の混乱といい、この現在の文明は、その進化によって、安定の方向を見いだすのかと思いきや、依然として不安定なままである。そんな場所に生きている。我々は、そんな場所に生きている。まずは、それを強く認識することからしかはじめられない。そう、まずは落ち着いて認識して、どうあるべきかを考える必要がある。しかし、そんな事を考える暇もなく、物価高の生活へのアタックがやってくるわけだ。生活に必死にあるだけしかできなくなると、その背景なんて。
あまりにも、複雑で悩ましい。
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