安部公房 方舟さくら丸 所感

久しぶりにじっくりと安部公房氏の「方舟さくら丸」を久々に読みました。
そもそもは、別のページにまとめている書評に追加しようという思いもあり、
読み始めたのですが、読み終わってみると、ちょっとそのような冷静な
態度をこの作品にとることが不可能であるということが明らかになってしまいました。

最初にじっくり読んだのが学生時代。そのときもあのエンディングには何となくいたたまれないもの
を感じたのですが、今回読んでみると、その感覚がより深まったというか、それどころではなく、
あのエンディングの様子にはどうしようもない宙ぶらりんな感覚がじわりじわりと
感情の中に沈み込んできてそこから脱出することができなくなってしまっています。

様々な感情を受けながら、そして、そこから脱出し、そして、数少ない生存者になる
そこに何かの望みを抱いていたものが、こんどはその脱出船から脱出することになる。
すると今度は、切り捨てようとしたところに住む選択しか残らない。
透明として表現される実感を伴わない現実感がより深く彼の周りを包んでいる。

絶望したままに、生きていくのだろうか。
全てが戯れだと認識しながらも演技し続ける。
それとも、私が病んでいるのか、かつて以上に。
自己の反照も在るかもしれない。
そして、この作品には安部氏の他の作品に見られる矛盾の存在を押し切る
激情のようなものが感じられない。この主人公には、箱男のような、
砂の中に囚われた男のような、顔をやけどした男のような、妻を誘拐された男のような、
状況に対する執念が感じられない。
それは、上記の人々が既にそこにある現実に囚われているのに対して、
自らが現実を作り出す側となったこの主人公との違いだろうか。
現実に猛然と抗議するときの力。新たな構築が無惨に崩れ去った無力感。
社会に所属する人間という存在がここでむき出しになっているというようにも思える。

安部公房(AMAZON)