サバイブする



1.サバイブ
なんとなく話題になっている記事から。


「巧みに生きるか、善く生きるか」
平野啓一郎公式ブログ

最新エントリー「巧みに生きるか、善く生きるか、……」(是非全文読んで考えてみてほしい)
My Life Between Silicon Valley and Japan - 平野啓一郎さんの「巧みに生きるか、善く生きるか」を巡って

この辺の議論の過程で、「サバイブする」という言葉が出てきたことに少し、反応してみる。というのも、若干異なる切り取り方かもしれないが、私が安部公房の「砂の女」を読んだときにとても考えさせられた内容であったが故。その時の読書感はこちら(dLINKbRING.Literature.安部 公房.砂の女)にまとめていますが、そこでは、政治的存在と経済的存在という言葉でわけて、経済的存在を「Survive」として表現してみていたので、近しい感覚なのかもしれないと。


2.砂の女
詳しい内容は、先述のサイトを読んでいただければと思うけれど、簡単に。砂の女の作品では、砂の穴に閉じこめられた主人公が、そこからの脱出しようとする行為とその砂の中で乾きに飢えるという状態の対立が主軸。水は欲しいだけれども村に対して屈服はしたくないという葛藤から始まるのだけれれど、次第にその村における存在に対して、ある種の同情というか同意というかも感じ始めながら、しかし・・・。という展開。この葛藤の部分を、政治的存在:「ここは私のいる場所ではない」と経済的存在(Survive)「水と食料がなければ生きていけない」として、読み解いてみたわけです。
で、ここでの最終的にこの主人公が選択した生き方というのは、一体「巧みな」選択なのか、それとも、「善い」選択なのかというところに、今回のブログでの議論の内容から、考えがたどり着いたわけです。ただ、それはいくら考えても結果はどちらなのか判断がつかなくてこの主人公の行動と同様思考が堂々巡りに陥ってしまうというのが結論。一方で、じゃぁ、この状況で、「巧みな」選択ってなんだったのだろうと、そして、「善い」選択ってなんだったのだろうと思うと、実はそのいずれの選択肢も実は無いということかもしれない、いや、この主人公のような発想をする人にとっては無いのかもしれない、というように思えてくるのです。そして、たいていの人は、この主人公のような発想をするのではないか、もしくは、現在の社会状況ではほととんどの場合そのような発想をするしかなくなるということなのではないかと。と、この現代社会を生きていると、この状況にある主人公にある種の同情というか同意というものを感じるというところに、この舞台と現代社会の相似性とともにこの主人公と現代を生きる人間の相似性を感じてしまうと。そんな考えにいたったわけです。じゃぁ、どう生きようかというと、全く正解など見いだせなくて、とにかく在るしかないというところではないかと。


3.ということ
ということを、上記のブログを読みながら感じたので、ちょっと方向性にずれがあるかもと感じながらも、我田引水に話題にのってみました。

関連リンク:
dLINKbRING.Literature.安部 公房.砂の女
関連サーチ:
砂の女(AMAZON.co.jp)
砂の女(Google)
砂の女(Technorati.jp)
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